月の指先









「黒崎一護、お主の霊圧は危険なものゆえ、こちらの世界にも現世にも嫌というほど、
影響を与える。今回の騒動で分ったことだと思うがな。
そこで、こちらは霊圧を封じる術を施し、お主を現世へ帰す。
記憶を消さぬという約束を飲む代わり、以後の尸魂界への干渉は禁ずる。
良いな・・・?」
それは同意を想定した問い。
一護には頷くしか術は無かった。
開発技術室に連れて行かれ、白衣を着た死神に囲まれる中いつのまにか眠っていた一護が
起きたときには既に霊圧は常人並になっていた。
もともと、霊圧を察する能力が低い一護ではあったが、それでも手ごたえのようなものが、
小さくなったのを感じた。あれほど、間近で鳥肌が立つほど感じた剣八の霊圧もほとんど
分からないくらいだ。
残念そうにというか悔しそうにこちらを見る剣八に一護は苦笑を返すしか出来なかった。
その時、一護がすまねぇなと言えば、勝ち逃げは気にくわねぇと剣でも突きつけられそうな
雰囲気だった。 
戦いで負った傷もすっかり癒え、現世へと戻される日が来た。
見送る死神の面々の中、銀髪の少年のような彼は、輪から外れたところにいた。
風に乱れ散る桜の下で静かに。自分を見ているようで、その実見てはいないのでは
ないかというほどの視線だった。
低い背のせいで、時折、死神たちに隠れるその姿を追う自分の眼に、
別れの挨拶をしていた浮竹は苦笑した。
「あ、す、すいません・・!」
謝る一護に、浮竹は肩を震わせて笑い出した。
「いいよ、気にしなくて。
・・・・あんなに遠くに離れてでもいなきゃね、彼は君を見送れる自信が無いんだよ」
信じられない言葉に目を瞬かせた一護の肩を優しく叩いた。
「また会えるときを楽しみに待っているよ。
僕らの人生は長いから君がこちらに本当にやってくるのなんてあっという間だよ。
たまにはあの子にも恋焦がれるというものを味あわせてやるといいのさ」
「・・・・浮竹さん」
でもその間に、冬獅郎が自分よりも思う相手が出来たらどうすればいい?
お互いに干渉できない世界で過ごせば、多くの情を重ねる相手だって出てくるというもの。
けれど、その現実は重くて口に出せない。
「そんなアイツ、想像できないっすよ」
濁した言葉は、春風の様に優しい声に守られた。
「じゃあ、そのときの楽しみにしておくといいよ」
それにも一護は曖昧な返事を返すしかできなかった。


挨拶を済ませ、一度頭を下げると一護が帰るために開けられた門へと向かう。
尖界門をくぐる瞬間まで、情けないけれど何度も振り返った。
手を振ってくれる死神も、笑顔で見送ってくれるものも、普段と変わりないものも
すべてがもう一護の中では絆のある仲間だ。
その中でも一番の、彼の姿は相変わらず見えないところで彷徨っている。

もう見れないかもしれない。
焼き付けておきたかった。
会えない。
時間が俺たちを離す。

離さないと、信じろと
お前が言ってくれたのに。
その言葉が、空に輝く手の届かないものになってしまう気がした。
あのときの喜びを思い出して、握り締めてくれた手の強さを思い出して、潤んだ世界。
遠ざかる。
その姿。
揺らぐ。
その姿。
隠す。
その姿。
舞う白い花びらが、霞のように。

「っ・・・」
会わなかった視線が一護を見た。
射抜く力を持った色彩。

一度だけ交わった翡翠の目を忘れるなと、叫んだ心。
心臓を握り締めるように胸元を掴んだ。

「冬、し・・・・」
声すら届かないと知っているのにそれは無意識だった。

ザァァアアアアアッ


白い壁が雪崩のように崩れ落ちる。
目の前を塞ぐ世界の壁。
手のひらをそっと合わせてもなんの温度も感じられなかった。
けれどそれで良かった。
みっともなく、泣き喚くことなど出来ない。
今は断ち切らねばならない絆。
奥底に秘め、その時までは眠らせておかねばならない感情。
閉じた瞼。
押し上げて、強い視線はもう前だけを見る。
背中に求める視線が無くても、歩き出す。
踏み出す一歩は大きく、
戸惑い迷う心を断ち切るように。
戻れないのだと言い聞かせた。
長い通路を渡り、戻った目の前に広がる世界は懐かしく、それでいて
寂しい風が吹いていた。
アスファルトに落ちた桜の花びらを一護は拾おうとして止めた。
日常という穏やかな流れが待つ世界へ戻ってきたのだ。








「お兄ちゃん、どこいくの? もうすぐ夕飯だよー」
玄関でスニーカーを履く一護にお玉を持った遊子が近寄って来た。
「ああ、ちょっとそこのコンビニまでな。シャーペンの芯買ってくるだけだから」
心配すんな、と頭を撫でてやれば、もう子供じゃないんだから!と
言いながらも中学生になった遊子は嬉しそうに頬を染めた。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
「おう」
パタンと閉じたドアの向こうで、元気にお玉を振っていた遊子の手が下がる。
ひょっこりとリビングから顔出したのはポッキーを咥えた夏梨だった。
「一兄、行ったの?」
「うん・・・・」
肩を落とした双子の妹にため息を付きながら、その頭を抱き寄せる。
「無理すんなっつても、する兄貴だからね。見守るしかないよ」
「うん」
「ほら、鍋ふきそうだよ」
キッチンでカタカタと盛大に蓋を鳴らしている音がする。
「ああ・・・!大変ー」
駆け出した小さな主婦の後に続いて戻る前に、夏梨は閉じたままのドアを見た。
度々、増えるようになった一護の夜の外出。それはほんの散歩程度の時間、近所
という距離だったが、妹たちが異変に気づくのに時間は掛からなかった。
数年前から続くそれはもう習慣のようになっていた。
その様は何か無くしてしまったものを探すように、零れ落ちるものを落とすまいと
抱きしめるようだった。
「あたしたちだって付いてんだからね・・・しっかりしろよ、ばか兄貴」
ポケットに両手を突っ込んでリビングに向かう。
何にもできないと分っていても支えになりたいし、家族ってそういうもんだと
夏梨は思っている。
なんでもない顔して、笑っていられる妹として帰りを待つ準備を今日もする。



パーカーの首元から入り込む風が冷たい。
思わず首を竦め、寒いと呟いた音は白い煙に変わった。
踏みしめるアスファルトに落ちる枯葉。風に飛ばされ、どこかに行き、そしてまた
ここにたどり着いた幾つもが散乱している。
外灯が照らす地面、小さな丸い光の輪。
夜の闇と外灯の光を繰り返し、たどり着いたコンビニ。目当ての商品と缶コーヒー
をレジに持って行き、外へ出る。
帰る速度は、来る時よりも遅い。
手の中で暖かいコーヒーを転がしながら進む。
横手に通り過ぎようとした公園で、ブランコが軋むような音を上げて揺れている。
危険性がどうのという理由でいくつかの遊具が撤去されてしまって、
寂しげになった中、唯一、一護が幼い頃から残っているものだ。
思わず、立ち止まった足。
最初にルキアに死神代行の決心を固めさせられたのはここだった。
襲われる子供の霊を見て、すべてを助ける気が無いなら目の前のものすら
救うなといった言葉。
それに怒鳴り返すようにやるといった自分。何年も前なのに昨日のことのように
鮮やかだ。
そう、自分はまだ忘れていない。覚えている。
吐き出した息より大目の空気を吸い込めば、ツンとした冷気が鼻を刺す。
目頭が熱くなった。

「ああ・・・もぅ」
情けねぇ・・・。
妹たちにさえ心配をかけていることに気づいている。それでもその優しさに甘えている。
そんな自分が心底情けない。
ぎゅと耐えるように瞼を閉じて、その上から蓋をするように缶を当てた。
けれど熱に溢れるもの抑えられなかった。
隙間から零れる雫は頬を辿り、かみ締める唇に着く。
馴染んだ味が舌先に広がった。

「         」
唇はもう何度も呼んだ名前を紡ぐ。
声には決してしないのは意地だ。
まだ長い先にこんなくらいで耐えられなくてどうするのだ。
それとも、最初の時間のほうが辛くて、後になればもうこの感情さえなれて
日常を送っていくというのだろうか。
忘れるなんて出来なくて、懐かしく思うことも出来なくて、ただ恋しいこの気持ちを
持て余している。
大学生活に入った慌しかった頃は良かった。疲れて眠れば、夢さえ見ずに眠れた。
新しい知識は勉強が決して嫌ではなかった自分を満足させた。
新しい友人だって出来たし、高校時代の仲間と時折あってバカ騒ぎするのも楽しかった。
・・・・・でも、ふと思い出すのだ。
彼を。
桜舞う中、自分を見た彼の目を。




離れて気づいた。
お前の言っていたとおり、
俺はただ顔を上げて涙を堪えるのが上手かっただけの、
唇をかみ締めて嗚咽を喉奥に押し込めるのが得意だっただけの、
子供だ。

だって、こんなにもお前に会いたくて仕方ない







next → お題4『眺む』(ながむ)−物思いにふけってぼんやりと見る


「 月の指先 」  06.2.5
お題で連作。

連作における捏造設定
・尸魂界の事件の後、一護はその霊圧を危険視され、封じられて、現世に常人として戻される。
・以後の尸魂界への出入りは一切禁止。
・死後になれば、尸魂界へ行ける(常人と同じ)
・尸魂界での記憶は持ったまま。口外しないとの約束で(ここら辺甘いのは見逃してくだされ)