皮膚から髪の先から、その心の奥、ずっとずっと深くまで。
ぐちゃぐちゃどろどろと溶かすように甘やかしたいなんて。
そんな思い、言っても信じはしないか?
でも本当なんだ。
自分でも笑ってしまいそうなほど、愛しくて手放せないくらいになってしまったんだ。


最初は互いに恐る恐る繋いだこの手と手だったけれど、
どうかその手を離さなくていいと信じて。


それから、それから・・・・・。





and smile








ここに着てから一枚一枚、まるで思い出のように重なっていくカルテは相変わらすの中身で、 少しもこの心を穏やかになんてしてくれず、かといってそれを目の前の患者に悟らせるほど 自分は歳若く経験の乏しい医者でもなかった。
体調は良好、病状は良くもならず、悪くもならずといったところ。
当の患者はもう悟り切ってしまっている所為か、幼いころより抱えた難病より今は先日倒れた時に花瓶の破片で切って しまった人差し指の傷の方が気になるようだ。
大した傷ではないがふとした時に感じる違和感にどうしても触ってしまうらしい。
すでに癖になりつつあって、指摘したらきょとんとした顔をされたのを覚えている。
珍しい顔に笑ったら、その後普段より何倍も顰めた顔をされた。単なる照れ隠しだと 分かっているが緩む口元を引き締めるのは至難の業だった。
ピリオドを打ったカルテに手を止め、皺の寄った眉間に人差し指を当てたら、自分の指先に目を 落としていた一護が驚いたように顔を上げた。


「どうした? 皺寄ってるぜ。今日もご機嫌斜めか?」
茶化しながら白衣の胸ポケットにペンを仕舞い、掛けていた眼鏡も外す。最近少しだけ弱まった視力のせいか、 目が疲れやすくなった気がした。
「それを言うなら冬獅郎が、だろ?」
一護は自分の眉間をトントンとつついて、冬獅郎を指差した。
「そんなことねぇよ」
「嘘つけ、お前に眉間の皺無かった時なんて、思い出せねぇぞ俺」
無自覚かよ性質悪いなぁと続ける一護の短めの前髪を冬獅郎はぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「うわっ、ちょ、やめろって」
「ほら、男前だぜ」
「っ・・・! ざっけんなっ」
にやりと笑ってみせる冬獅郎に一瞬見惚れてしまいそうだった。
離れていってしまう指先の感触と温もりが惜しいだなんてふと思ってしまった自分に 気づいてしまった一護は手櫛で髪を直す振りをした。
自覚すればするほど顔が熱くなっていく気がした。
そんな一護に、ぼそりと呟く冬獅郎の言葉はもちろん耳になど入っていなかった。

「・・・・・お前の方こそ無自覚で性質が悪いんだよ、一護」
笑う口元を押さえる振りで、唇に触れた右手。
指先の温度が惜しいのは二人とも同じだった。
そんな無駄な掛け合いをベッドの中の一護と、その端に腰掛けた冬獅郎は、患者と医者という 立場ではなく、もっと近い場所でしてる。
午後の緩やかな陽射しが柔らかく、一護の鮮やかなオレンジの髪を照らしていて。
空気が乾燥するからと開けられた窓から入る風がカーテンの裾を時折揺らした。
干した布団のように、太陽の匂いがするかもしれないと思って、冬獅郎はこっそり息を吸い込んでみる。
でも、そんな匂いはしなくて、変わりに覚えのある消毒薬が鼻を掠める。
昨日起きた発作に顔を歪める目の前の少年の姿を思い出して、冬獅郎は少しだけ胸が痛むのを誤魔化した。
本当はもっともっと一護には違う色を、優しい色を与えたいと願って。
でも、いつだってそれを打ち消すのは自分だったと思い返した。
助けたい。
生きていて欲しい。
どんなに願っていても、まだそれが叶う確証を冬獅郎は一護に与えてやれはしない。
苦しさを悲しさを、少しでも取り除いてやりたいと口にはしないけど、ずっと思っている。
だけど、そんな冬獅郎の思いに気づかず、一護は時々、少しだけ悟ったような顔をしてみせる。
治らなくても平気だと。
苦しくても我慢できると。
母親の死すら受け入れ、父親の悲しむ背中を見つめ、精一杯の思いを注いでくれる妹たちを 愛してきた一護は、それこそ人一倍家族思いで他人の負の感情に敏感だった。
心配させることが何よりの悲しみで、安心させることが何よりの己の義務だと思っているのかもしれない。 だからこそ、そんな一護が自分がいつか、目の前からいなくなってもその病と戦い続けようとしていること に、冬獅郎が気づくのは難しくなかった。
思い出してみれば、その断片はあちこちにちりばめられたのだ。
冬獅郎が病室の扉を開けると必ず一護はそこにいたこと。
ちょっとした互いの感情のすれ違いで諍いをした昨日を思い出して、冬獅郎でさえ少し気の重苦なった 時でさえ、不貞腐れたような顔は隠さなくても、そこにいてくれた。
ましてや、引く手数多の冬獅郎が訪れる時間はまちまちなのに、一護がどこかに諸用でいなかったことなど一度だってなかった。
友人や、もしかすると家族よりなによりも、自分を優先していてくれたのだろう。
会える時間をどんなに少ない時間でも大切にしてくれていた。
いつだって、冬獅郎が一護を抱きしめる時、腕の中で、肩の上で、安堵の溜息をつくように息を 漏らしていたこと。
それから、ようやく、ゆっくりと背に回した腕で抱き返してくれていたこと。
それで、一護が冬獅郎の思いを確認しているのだと気づいたのは、両手で数えるのも足りないくらい の時だった。
本当に雷で撃たれた様な衝撃だった。
今だったら、そんな表現で笑って言える。
だが、あの時の冬獅郎にはそんな余裕なんて1mmだってなかった。そのくらいみっともなく動揺してた。
そんな冷たく悲しい決意を一護が心に固く決めてしまっているなんてどうして受け入れられるのというのだ?
はっきりいってしまえば、思いを互いに受け入れた時に、冬獅郎は安堵してしまっていた。
これでもう何も自分達の心を脅かすものなどないと。
だが、病気を抱えるもの特有の、一護の抱える問題を冬獅郎は軽く見すぎていたのかもしれない。
一時の思いだけでは、一護をずっと繋ぎとめておくことなど出来なかったのだ。
己の甘えだと冬獅郎はあの時自分を殴りたいと思った。
そして、改めて、冬獅郎はこの少年への深い、自分でさえ感じていなかった奥底の深い思いに気づかされた。
爪の先、髪の先、心の奥底まで、安心させるくらい甘やかしたい。
無防備にとまではいかずとも、せめてもっと自分に心を預けて欲しい。
だからこそ、目の前の頑なな壁を壊さねばならないと思ったのだ。


俺が、最初にお前に告げた思いをお前がどんなに懸命に泣きそうになるのを唇を噛み締めて堪えて、小さく一度だけ頷いてくれたことを。
俺がどんなに心の奥底から歓喜したことを、知っているか?
お前は時々、俺の思いを浅く見すぎてる。
それが、お前の生きるための防衛策だとしても、悪いが、俺はその壁を壊してみせる。
泣いたって喚いたって許してなぞやるものか。
それくらい、お前を思う俺が酷い男だと知ればいい。
放せと殴られたって抱きしめて。
もう嫌だと首を振られたって、もっと抱きしめるだけだから。
だから、諦めて、この背中に腕を回して。
そうしたら、もっともっと強く苦しいくらい、抱きしめて。
なんて酷いヤツだって、諦めて、笑ってくれればいい。




変わるのが人の心だと心の奥で諦めてしまっているなら、何度でも伝える。
柄じゃなくて簡単に口には出来ないけれど、
俺が、お前をずっとずっと好きだということ、抱きしめることで少しでも安心を与えてやれるなら、 何度だって。
だから、心配するな。




悲しそうにじゃなくて、諦めたようにじゃなくて、
照れたようにでもいい。不貞腐れた後にだっていい。
笑っていて欲しいんだ。


お前を愛しているから。











end

08.10.3

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BJサルベージ加筆修正版
あいかわらず、冬獅郎が別キャラですね・・・・