nameless
飲み物をいれようとベットから抜け出した時だった。
それはやってきた。ここ何ヶ月と起きなかった発作がやってきたのだ。
ナースコールを押そうと伸ばした腕は、ベットサイドに置かれた花瓶に当たって終わる。
落ちていく花瓶には、昼間に見舞いに訪れた妹が庭で摘んできた小さな黄色い花が 生けられていた。
砕けた白い破片と、黄色の花、床に広がる水。
それを視線の端に捕らえながら、ごめんなと謝罪の言葉が胸に上った。
けれど口には出せなかった。その言葉を吐き出す息すらもう一護には困難だ。
ひゅっと吸い込んだ息が肺に吸い込まれる前に消えていく。
酸素が足りなくなり、頭に脈音が響く。
心臓は何重もの有刺鉄線で締め付けられたような痛みを繰り返す。
「っ・・・っ、ぃて」
膝をついた身を屈める。裸足の足が床を滑る。
震える手は胸元を掴み、心臓の痛みを掴み取れないものかと何度も思った。
食い込む爪先の痛みさえ、それ以上の痛み麻痺する感覚に打ち勝てない。
額に滲む汗が滑り、リノリウムの床に落ちる。
あとどのくらい待てば去るのだろうか。
それとも意識を手放した後だろうか。
自分の呼吸すら意識して数えられほどの音が鼓膜を打つ。
とにかく、一護には待つしかないのだ。
治す術もない病と付き合っていくにはそれしかない。
それでも、指先が寒い。
胸元を掴んだ左手とは逆の、床に付いた手が冷たい。
寒い誰か、
だれかだれかだれかだれか。
このてを------------------
ふいにその右手が掴まれた。
熱いと感じるほどの温度と力が、確かに一護の手を掴んだのだ。
ゆっくりと、それこそ一護には何十分と思うほどの感覚の動作で
少しだけ横向けた顔から視線を上げれば、そこには冬獅郎が居た。
病院に居るときは他のものに怪しまれないよう白衣を着ている彼が、 今はそれすら纏っていない。 その肩が大きく揺れているのは急いで自分の下に来てくれたからだと 期待してしまう。
「 」
言葉にすらならない音を拾ったのか、冬獅郎は頷いた。
苛む痛みの片隅で浮遊感。
そうこれは。
覚えのある感覚だ。
意識が無くなる予感に、一護は悲しくなった。
早く痛みが去ればいいと、感じなくなればとさっきまではあれほどに 願っていたのに。
今は、自分の右手を掴む彼の体温を手放すのが惜しかった。
だって、彼は、自分がベットで目覚める前にはこの手を離してしまう。
目覚めれば、その温度すら幻のように消え去ってしまうのに。
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お題19 「てのひらの温度」
BJ旦第二弾。