それひとつで





 お前のせいだ、と-------------

最も言いたくもなかった最低の言葉が零れた。
ぐちゃぐちゃに荒れ、翻弄される心を見せたくなくて
顔すら上げなかったのに、これでは意味がない。
自ら感情を暴露しているようなものだった。



ああ・・ちくしょう・・・!と心中で吐き出しても、ただ苦味と痛みが一護の胸奥に広がる。
こんな時に自分がどんなに身体的に上回っていても、この男よりも年下で、どうしようもないガキだと知る。
出会った時から、隔てた時や住む世界の隔たりは大きく、そして深く二人の間に横たわっていた。
どんなことをしても埋められる距離ではない。けれど、それでいいと、一護は思っていた。
それはどうしようもないことだし、これからのことを思えば気に病むことでもないと。
それでも、時折、湧きおこるこの感情を一護は認めたくなかった。
普段からクールだとか、大人びていると言われ、本人も自覚して装っている節もあった。
人並みに、いやそれ以上にプライドの高い一護が、認めたくない感情の筆頭が日番谷冬獅郎に対する感情だ。
友人と家族、虚と己の弱さ、それらを自分の両手の限りで戦い、貫き、守ることは出来たのに。
薄膜を隔てたような、霧の向こうのような、届きそうで届かないもどかしい焦燥に駆られる
この感情だけは抑え方が分からない。
指先をどんなに伸ばしても、触れることさえ叶わず、十を背負った白い羽織の姿がかき消えるだなんて 幻想だと思っても、こうしてこの世界を訪れるようになってみれば、様々な違いが重さを持って、 自分と冬獅郎を引き離そうといるようだった。
正直、冬獅郎に対するこれが恋だとか愛だと言われるものか、恋愛には疎い一護には分からない。
ただ、その潔い姿勢に惹かれていることは確かで。傍にいると、心地いいし、なんとなく嬉しい。
それだけのはずなのに。今なら、まだ友情とか親近の枠で収められる。
その押さえ込めず、時に嵐と化す思いを揺らがそうとしているのは目の前にいる、
元凶である日番谷冬獅郎本人だった。
最初はただ、夕暮れに沈む瀞霊廷の階段を登っている所を、段上から呼び止められただけだった。
普段見下ろすばかりだった冬獅郎を心持ち見上げる格好になった。
銀髪の淵を夕陽が彩る様が綺麗だと思った。
どうやらこれから隊舎に戻るところらしい。
お前はどうしたんだと聞かれたので、定期報告だと答えればそうかと頷いた。
ただそれだけのことなのに、どうしてか胸が痛む。
この指を伸ばせば、届くのに遠い気がする。
お前は俺をただの人間の子供としてしか見ていないからだ。
彼の生の中の本当にかすかな時間しか存在していられない人間だ。
だから、触れてはいけないもののように思う。
「それじゃあな」
登りと降りで擦れ違っただけの自分と彼にそれ以上の会話は望めなかった。
「待て、一護」
下ろうとしていた階段から視線を上げる。
じっとこちらを見下ろす翡翠は赤には染まらずそこにあった。
ああ・・・俺の好きな色だ。
「          」
冬獅郎の声は発せられたはずなのに、一護の脳はそれを正しく言語として捉えなかった。
唇の動きだけでも分かったはずなのに、捉えられなった。
現実ではないと強く脳が否定している。
起こりえないことだとパニックを起こして伝達が上手くいっていない。
「へ・・・・?」
間抜けな一護の声に、冬獅郎は軽く呆れたように息をつくと、
俺も大概舐められたもんだなと口の中で小さく呟いた。
数段違っていた段差をゆっくりと降りて、段差に縮めると今度ははっきりと言葉を紡ぐ。
「黒崎一護、お前が好きだ」
「・・・・・・・ぁー、お前冗談とか言えるやつだったんだな」
見た目は自分の妹と同じよう年頃に見えても、一護より何百倍も永くを生きている。
数え切れないほどの死神の頂点、十三の内の一つの隊をまとめ、天才と謳われる隊長だ。
生きた場所も、時間も、季節も、この数ヶ月前まで一度も交わらなかった。
そんな男が、自分を好きだと云う。
お前が、好きだと囁かれた声音が鼓膜に響く。
冗談じゃないかと口にはしながらも、嘘でそんなことが言える男ではないと分かっている。
ただ、信じたくないだけだ。
「マジかよ・・・」
眼を逸らさない冬獅郎から、先に俯いて視線を剥がす。
それは掻き乱す嵐となって一護の心を荒らす。
これ以上、平静でなんかいられるわけが無い。
やめてくれ、これ以上は手一杯で手に負えやしないのに。
切り捨てようとした感情を白日の下に暴こうとするな。もうこんな焦燥は沢山だ。
「一護」
自分を呼ぶ冬獅郎の声が、箍を外せと迫る。
「ちくしょう・・・お前のせいだ・・・っ」
こんなに苦しいのは、うまく息が出来ないからだ。現実を否定したいからだ。
お前が俺を好きだと言ったことも。俺がお前を好きだと思うことも。
全部何もないものとしていたかったのに。これじゃあ、もうどこにも動けない。
お前しか目の入らなくなるのは嫌だ、怖い、一つを守るだけになるのは怖い。
お前だけしかいらなくなるのが怖い。
もう、他なんて犠牲にしてもいいだなんていつか思ってしまうじゃないかと恐ろしい。
お前と俺を隔てるもの全てが嫌だ。
その差すらを埋めて、傍にいたいと馬鹿みたいに思う。
そんな子供じみた感情で一杯になるのは嫌なのに。そんな俺をお前は望むと言うのか。
手に入れて、離される絶望を味わうくらいなら。
温もりが消えずにいるのなら、押さえ込むことすら耐えて見せるのに。
どうして、お前は俺の開けたくない最後の扉を壊そうとするんだ。

「一護・・・・・・」
頬に触れた自分より小さな手が、強引に一護の顔を上げさせた。
いやだと抵抗するのに逆らえないのは、自分を呼ぶ彼の声が心地よすぎるからか。
「見るなよ・・っ」
涙なぞ流していなかったが、先ほど口走った子供じみた非難の言葉のせいで、 羞恥に大した変わりは無かった。
「はな、せ・・・!」
冬獅郎の手を剥がそうとするが、それが叶う前に引き寄せられた。
見上げさせられた一護に触れたのは少し渇いた唇。
「・・っ!?」
驚きに見開いた一護の目に、映る冬獅郎は笑っていた。
怒りでも呆れでも無い、ただただ穏やかな笑みだった。
「俺のせいだなんて、嬉しいことを言う」
吐息のかかる距離で、にやりと口端を上げて笑う男はその背に夕陽を従える。
「こんな風にお前の心を乱させるのは俺だけなんだろう、一護?
往生際が悪りぃぞ。いい加減諦めて、俺を好きだと言え」
どこまで、自信過剰な奴なんだ! けれど、悔しいが事実だから言い返せない。
「悩みすぎると長生きできねぇぞ。
早くこっちに来てずっと俺の傍にいたいというんなら手を貸さないこともないけどな」
ニヤリと笑う冬獅郎は、一護の内にある悩みに気付いていたのかもしれない。
もう最後まで敵わないと、一護は、降伏のため息を吐いた。
「アホか、俺は100歳まで生きるつもりなんだよ。当分こっちに来る気はねぇよ」
苛立ちに吐き出した責任転換の弱音も、彼にかかれば最上の睦言になった。
顔が離れると同時に頬にあった両手も外されると、ひんやりとした空気が皮膚を撫ぜる。
これではもう、熱くなった頬は隠せない。
「お。俺が好きだってとこは否定しないんだな。
まぁ、その顔じゃあ嘘だって言われても信じねぇけどな」
「・・・クソ、自惚れんなよ」
両手を伸ばして一護は自分からその唇を奪うと、
今度こそ、冬獅郎の顔から余裕の仮面を剥がれ落ちた。
「ざまーみろっ」
得意げに笑って、その二つの翡翠を覗き込んだ。
「・・・・フン、下手くそ。こうするもんだ」
頭を引き寄せられる力に目を閉じれば、触れた温かさに眩暈がした。

最初から、この手を離せるわけなんてない。



「 それひとつで。 」  05.11.23.