お伽話なら、誰でもひとつは知っている。

魔法使いの力でカボチャは立派な馬車に、鼠は美しい白馬に。
心優しい王子の隣に、最後は主人公が笑顔で並ぶ。
めでたし、めでたし。
そう締め括られる最後に、子供は安穏の眠りにつく。

知りうる限りのお伽話ほ殆ど同じ。
物語の中、子供の心を惹きつける繰り返される不思議な力、そして、幸せな結末。

それが―――――

Fairy tale




ひゅうと擦れた息は、確かに言葉を紡いだはず。
でも、無駄だった。
両手両足を投げ出すようにして地面に横たわっている。まるで飽きられて、放り投げられた人形のように無様 な格好だった。石畳の上の砂利が背中に当たってちくちくと痛んだ。
ぐっと息が詰まる。喉の奥に何かが押し込められたように苦しい。
時折、咳きこんで地面に吐き出すのは赤黒いものばかりで、その度、俺を見下ろす両目が痛々しく歪む。
そんな顔をするなら、頼むから見ないでくれよ。
こっちまで辛さが増しそうだ。
そう笑ってやりたいのに、笑い声さえ出ない。早くも固まりだした血でこびりついた口端が引き攣る。
相手の目を見るのを止め、力を抜くように視線を緩慢に下ろしていく。
彼の死覇装の胸元が濡れている。ただ、元の色が黒だから、赤色を吸っても余計に濃さを増しているだけに見える。
その反対に、隊長の証である白い羽織だけが、鮮やかに染まっている。
どれも、俺の血だった。俺を触れた時に、彼についた血だ。
血って結構洗っても落ちないもんなんだよなと暢気なことを考える。それで、ひどい喧嘩の度に何枚かの気に入りのTシャツを捨てる羽目になったっけ。妹に見られたら余計な心配掛けるだけだったから、脱衣所のカゴに放り込むことはしなかった。
定まらない俺の視線はうろうろと彷徨っている。
ちらりと見えた頬や瞼、腕はもちろん、俺の胸を押さえている両手はもうどろどろなんじゃないだろうか。
きっと、皮膚の皺や、爪の間まで入り込んでいるに違いない。
悪いが、わざわざ好き好んで、自分の傷口を見る趣味はないから確かめはしない。
結局、視線を定めることもできず、現実逃避とばかりに空を見た。
晴天なんて天候は期待できない、なんとも中途半端な薄ぼんやりした空だった。
こうしてみると瀞霊廷の空も、現世のそれとなんら変わりはしない。
ただ、その下に生きる者たちが違うだけだった。
まるで、近所の川原の草の上にでも横になっている気がしてきた。
母さんを探しに行って、結局見つからなくて、疲れ果てて座り込んだあの時。
両手で足を抱えて、小さな膝に頬を当ててじっと何時間もそうしていた。
泣きたい気分なのに、まったく涙が出てこなかった。
あの頃は何かあればすぐに泣きだしていた俺には珍しいことだった。
それが、母親の不在ー死ーのせいであることは、子供心になんとなく悟っていたように思う。
夕日が落ちて、藍色の空になった頃、親父が俺を見つけた。
なにしてたんだとか、どうしてこんな時間までとか小言は一切言わなかった。
そう、何にも言わずに片手を掴んで家に帰ったんだっけ。
煩い親父が唯一静かだったのは、あの時だけだった。
ああ・・・余計なものまで思い出してしまう。
いろんなものが溢れてしまう。
なにもかもが流れ出してしまう。
みんなみんなばらばらのぐちゃぐちゃだ。
考えるのも億劫になってきて一度ゆっくりと瞬きをする。
正直、呼吸をするのも意識を保つのも精一杯だった。
他の五感が弱ると何か一つだけ正常なのが飛びぬけて鋭くなることは良くあるらしい。
普段は無視してしまえる小さな音も、今はしっかりと拾う。
騒がしい周りの音は、何人もの他人の声だろう。知った声もあれば、知らない声もある。
だけど、目の前の彼の声は聞こえなかった。
叫び声や、困惑した声、行ったり来たりする足音、ざわざわと混濁した様々な音を掻き混ぜては、鼓膜を揺らす。
その音の中に、聞きなれた声はない。
ゆっくりと閉じていた目を開ける。

ああ・・・またその目。

誰かが彼を呼んだのか、顔を横に向けて何かを伝えている。
言葉までは聞き取れなかったが、いつもより荒々しい様子は焦りを十二分に表していた。
何回かのやり取りの後、相手が二度首を振るのを見て、その喉が動いた。
干上がった喉が、唾を飲み込んでなんとか癒そうとするかのようだ。
――――なんの気休めにもなりはしないのに。
わかってんだろ。
もう、覚悟決めろよ。
目を閉じて、耳よりも感触に意識を向けた。
今は耳が拾うのは碌でもないものでしかないなら、それなら痛みの方がましだ。
そうすると今まで痛みに混じって微かだった感覚が浮き上がってくる。
胸に置かれた両手の微かな重みが形まで分かるようだから不思議だ。
この際、錯覚でも構いはしない。
その自重で止血と、俺の知らない鬼道のなんとかやらで多少の食い止めをしているのだろうと想像をつける。
小さな手だが、大きな力を秘めている手だ。
誰かを守るために、必死になる男の手だ。
俺が、共にいれると思った男の両手だった。
触るとすこし、指先が冷たく、かさついているのがなんだかおかしくて笑った。
体に見合って、子供体温だと思っていたのだ。
それが自分より冷たくてまるで想像を裏切られたようで、でもその裏切りもすぐに彼を新しく知るという幸せ の苗床になった。
ちょうど、雪の降る冬の朝だった。障子から、透けてみえる光がまぶしかった。
隣に温もりがあって心地のいいまどろみ。
撫でられる額に、さらりとこぼれた前髪の感触がくすぐったかった。
ちくしょうと小さく呟く声がその時、聞こえた。
思い出はかき消された。
夢想はふっと消えて、現実が蘇る。
瞼を上げたら、緑の目と合った。
無性にその頬に触りたくて仕方なかった。
でも、腕が上がらないから胸の内で溜息をついて諦めた。
あとどれくらいか。
あと、どのくらいなのか。
はやくていいのに。もう、またなくていいのに。
まっているものはきてくれない。ここにはいのちをかっていくものばかりがいるというのに、
だれも、おれのいのちをとっていってはくれない。
もう、つらいことはじゅうぶんだ。
くるしいことはだれにもいらない。
それが、おまえのことであるなら、おれはもう・・・・

「涅隊長を呼んでくれ・・・」
意外な者の名にその場にいた数人が動きを止める。
救護専門の卯ノ花でなく(彼女は少し前に誰かが呼んでいて、こちらに向かっている最中だ)、
誰の精神にも安らぎを与えるのには最もほど遠い人物であることは明らかだ。
どんな騒ぎにも自分の興味の持てないこと以外、表に顔を出さない引きこもりの研究者。
彼を呼ぶ意図が分からない。
呼んでも果たしてくるかどうかも分からない。
「XXXといえば、分かる・・・。急いでくれ・・・!」
こちらから窺うことの出来ない表情は、声音から察するに真剣そのものだった。
肝心なところが聞こえなかった。
けれど、なんとなく二人の間にしか通じない何かがあるのだろうことが分かる。
言葉からもそんな雰囲気が微かに感じられる。
一度は涅の名にたじろいだ隊士も駆け出していく。

涅が来るよりも先に卯ノ花が到着した。時間的にも予想より早かった。
けれど、こちらを見る目に微かな絶望の色を見た気がした。
そして、それは嘘ではなかったようだ。
いくら、治癒能力の高い彼女でも救えるものと救えない者があるのは当たり前の話だ。
死神は、力があるといえども魔法使いでもなければ、万能の神でもない。
施された術はただ痛みを和らげ、出血を止めるだけのもののようだ。
血は流れすぎているせいか、貧血でクラクラする頭はどうにもならない。それは別の話ということだろう。
それでも喉の奥に溜まり続けていたものがなくなると息苦しさも和らいだ。
呼吸がしやすくなったのと、少し声が出せるようになって助かる。
余計な心配ばかりする目の前の馬鹿に説教のひとつもくれてやれる。
散々、胸にため込んだ愚痴は今にも雪崩のように溢れだしそうなのだ。
「すこしは楽になったでしょうか? ・・・力及ばすすみません」
伏せられた目が悲しげで、でも結果を知っていた俺には今更どうというこもないのだ。
「いや・・・ありが、とう。すっげ、ラクになった」
小さく笑えば、彼女もぎこちないながらその口元に優しげな笑みを見せてくれた。
そうだ。誰も、悲しまなくていい。
この表現は少しおかしいだろか。
泣いてもいいけれど、立ち直ってくれればいい。
悲しんでいいけれど、最後には笑っていてほしいんだ。
俺は、誰かが泣くのが嫌で、泣き虫だった自分を奮い立たせて、ここまで戦ってきたんだから。
「うの、はなさん。・・・こいつと」
こいつのところで、目線をすぐ横にやる。相変わらず、俺の横に膝立ちでいる男を見やった。
「すこ、し・・・」
先を言おうとしたのを手でさえぎられる。
俺の不審そうな顔に無理をしないでいいと言っているようだ。
「解りました。少し、傍を離れていますね。・・・日番谷隊長、何かあればすぐに呼んでください」
「ああ・・・」
答える男の声は擦れていた。
どこかしゃがれていて、疲れ切った声だった。
「とう、し・・・」
言いたいことはたくさんあった。
卯ノ花のお陰で楽になってから、早くこの不満をぶつけてやりたくてしょうがなかった。
それは一種の腹立たしさにも近い。
バカみたいな顔してんじゃねぇよって、言ってやらなければ気が済まない。
しかし、その望みは絶たれた。

「やぁ、待たせたかネ?」

足音も気配もなく現れた、相変わらず素顔の窺えない不気味な男。
あまりにも早すぎる。
卯ノ花が来てから大差ないほどの時間に、彼の底知れぬ力量が垣間見えた。
男の後ろには相変わらず、申し訳なさそうに控える副官の姿があるようだ。
今の俺には霞んだ視界で、ぼんやりとしか見えなかった。
けれど、いつものように従順に控えているのが分かる。
淋しげで、悲しげで、どこか困った顔をしている彼女。どんな目に会おうとも、目の前の男だけを一心に信じている人だ。
「涅・・・・」
想像を超える時間の早さに驚いたのは自分だけではなかったようだ。
冬獅郎も声を掛けられるまで気づいていなかったのか、少し驚いた顔をしていたようだが、すぐに平静へと戻す。
そこで、一瞬、安堵の表情を浮かべたように見えたのは、俺の気のせいだったのか?
涅を見て、そんな顔をするなんて今までを思い出しても一度もなかったのに。
なにか、頭の奥で嫌な音が鳴った。
小さな鈴が鳴るように微かに、けれど、確かに、聞こえる音が。
「まさか、XXXでキミから呼ばれるとは思わなかったけどネ。どこから聞いたかはこの際聞かないで置くヨ」
ニヤニヤと笑う口元。細められた目が冬獅郎からこちらに移る。
嘗めるようなじとりとした目に、ゾクリと悪寒が走る。
まるで、実験体を見るような目だ。
いや、彼には相手が対象でしかなく、それは実験に関するものか、そうでないかの違いしかないのだろう。
そこに命があるか、ないかは存在しないのだ。
やはり、いつ見ても気分のいい相手ではない。こんな最悪な時は尚更だ。
「まぁ、周りがバタバタ何事か騒がしいとは思ってタけど。キミに呼ばれた理由も、これを見れば明らかダネ」
「XXXというのは本当の話なんだな・・・?」
「半信半疑で呼んだのカイ? 確信もなく、それでも縋りたイって?」
「俺のことなんてどうだっていいっ。・・・本当なんだな?」
涅を無視するように、押し殺した声が確認する。
どうしたんだ。
冬獅郎がこちらを見ようとしていない気がする。
それとも俺の気のせいか。失血で定まらない視界のせいか?
「本当だヨ。出来ることしかやらないヨ。だから、来たんダ」
興味もあるし、何より誰もやらせてくれないくてね。総隊長殿はダメダというんだから、本当は仕方なく
我慢してるんだ。機会さえあれば、適当に捕まえたやつでいつだって、とぶつぶつとうわ言のように呟いている。
「とうし、ろ・・・おまえ、」
なにをやろうとしてるんだ?
涅を呼んで、何をさせる気なんだ?
聞きたくても声がなかなか出ない。こんな時に、舌が縺れるように動かない。
嫌な予感が大きくなる。
明滅するように視界が狭まったり、揺れたりを繰り返す。
気持ちが悪い気持が悪い。
なんだんだ、なんなんだ。
なにを、しようとしているんだ?
「一護・・・すこし、我慢しててくれ」
ここに来てから初めて冬獅郎が小さく微笑んだ。
いつも安心するのに。
吐き気がして止まらない。
「・・・?」
吐き気を抑えながら、撫でられた頬の感触に目を上げる。
ぜぇと苦しげな声を上げると、額を摩られる。
優しい手。
生え際をなぞる指先。
それは涙が出そうなほど温かかった。
ゆっくりと覆いかぶさってくる体が柔らかく、俺を抱きしめる。
傷に触らないように。
これ以上、どうにもなりようがない体なのに。
優しく、そっと抱きしめる。
いつだって遠慮のない腕の力だったのか嘘のように。
やさしく、冬獅郎は俺を抱きしめて、耳元で囁く。
誰にも聞こえないように。
俺にしか聞こえないように。
小さく、囁いた。

「・・・・俺を許さなくていいから、」

なにを、いって。
「生きていてくれ」
なにを、いっているんだ。
「やめろ・・・やめ、ろぉ・・・っ!」
ようやく振り絞った声が出た。急に叫んだせいで引き攣る喉も構いはしない。
何が起こるかも分からないのに、それが途轍もなく嫌なことだとしか思えない。
そんな確信しか湧き起こらない。
抱きしめる男の肩越しに、こちらに向かって斬魄刀を振り上げる涅の姿が、みえた。
驚いた顔でこちらに駆け寄ろうとする何人かの姿もあった。けれども間に合う距離じゃない。
「ああ・・・」
まるで、溜息のように。
吐息のように。
叫び声なんて、出なくて。
ただ、ほうと息がこぼれるだけだった。
一つの体を突き刺して、そのまま、その刃が俺の体にも深く埋もれていく。
もはや、痛みも分からない。瀕死だったところにこれ以上なにをされたって、痛みの許容範囲は
とうの昔に超えているのだ。
ただ、痛み以上に悲しみがあふれてあふれて、こぼれて。
彼の名前さえ、呼べなかった。
熱さと、そして、何か漲る力が身の内に急激に入ってくるのをおぼろげな意識の端で感じ取ったのを
最後に、俺の記憶は途切れた。




目が覚めたとき、俺はほぼ治りかけた体に少しだけの包帯を巻いた状態でベッドに横たわっていた。
じわじわと状況を飲み込むのにそう時間はかからなかった。考える時間はたくさんあった。
命を使って、他人を救う----だって?
冗談はやめろ。
命で救えるものなんてない。
何かを取っても、それは何かを捨てることと同意じゃないか。
どこに、救いがあるっていうんだ。
誰が喜ぶ?
お前か?
少なくとも俺じゃないだろう?
そんな馬鹿みたいなこと。
あの時の俺は、自分の死さえこれが結果なら仕方ないと諦めていたのに。
これが俺の力不足なら悔しいがしょうがねぇかと分かっていたのに。
割り切れないのは、お前の方だったのか。
バカ野郎が・・・・・。

今、思い出しても夢のようで、もし俺が人から聞いたなら、お伽話みたいな、不可能に思える話だった。
でも、一つだけ分かることがあった。
たとえ、出来たとしても、それで幸せになんかなれない。

「こんな結末、御伽話にもなりはしねぇだろうが・・・」
一人の男が消えたことを俺はいつまでも忘れないでいる。





久々の死にネタですんません。

一応、設定の補完なぞを置いときます。
一護はなんらかで大怪我。瀕死。このままでは確実に死。
冬獅郎はそんなのを感じとってマユリ様を召喚。タスケテー、マユリサマー!
マユリ様のあの術?「XXX」

現象としては、ルキアが一護に最初に死神の力を分け与えたのを思い出して
もらえればいいかと。
ざくっと刺す!
斬魄刀を媒介にして、冬獅郎の力(魂)を一護へ。
この場合、与える側はすべて持ってかれます。そこがマユリ様がワクワクするポイント 。
残った体は実験体にとか思ってるあたりマユリ様(私もか!?)は鬼畜なのでした。
ルキアの時は、一護(与えられる者)が刺すってのでしたが、そこはマユリ様開発。
第三者の手で与える、与えられる者の肉体を斬魄刀を媒介に受け渡しできるというのに
なった!という感じです。

一護に言わせたかったセリフとか、冬獅郎に言わせたかったセリフとかあったけど、
うまく盛り込めなかったので端折りました。
ギャグ風にお送りします。
一護>こんなだったら、心中でもいいじゃねぇか!(えええ?!)
冬獅郎>お前が生きてなきゃ、俺が嫌だ(ドーン!)

そして、今回もつっこさんありがとう! 烏、最高!
「こんなちっぽけな魂でも君を守ることはできる」